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『星のふる夜に』を読んで、余白を埋めてみよう

星のふる夜に When Stardust Falls…

かつてもブログで紹介しているように、僕は本の合間に絵本もよく読みます。
僕にとっての絵本は、自分の考えを映し出す鏡のようなもの。
絵本は本と比べてメッセージの「余白」が多いため、その余白を塗りつぶすために「自分の考え」が必要になってきます。
だから、同じ絵本であっても、人によって解釈が異なる。それは読み手の考え方が余白に混じり込んでくるからなんですね。
その辺は音楽も似たところがあると思っていて、その時の感情が音と音の間の余白を埋めるから、同じ曲であっても人それぞれ「曲の持つ意味」が異なるわけです。

絵本でも音楽でも、「余白があるコンテンツ」という観点では同じ。
自分の考えや感情を浮き彫りにする大事なツールなんですよね。
 

「人の成長」という余白の埋め方


さて、話がだいぶ遠回りになりましたが、そんなわけで今回は本作です。



軽井沢といえば千住博美術館。
女川駅といえば、銭湯「ゆぽっぽ」の壁絵。



千住博さんは僕にとって大好きな画家なのですが、その千住さんが描いた絵本です。

この絵本は、全く文字のない絵本。
なので、言ってしまえば「余白だらけ」のコンテンツです。
親鹿と子鹿のストーリー。流れ星に誘われるままに歩き出した子鹿が、親鹿とはぐれて心細い思いをしてしまうのだけど、やがてまた親鹿の元に戻ってくる、というもの。
ストーリーそのものは本当にそれだけなのですが、絵が超絶キレイで、本を開いた瞬間に、この鹿の世界に没入することができます。
単に絵を眺めるだけで十分楽しめる作品だし、僕自身、読んだ当初はとにかくこの世界に没入する瞬間が好きだという理由で読んでいました。

ただ、最近は、この作品はひょっとしたら「人の成長を描いたものなのでは?」という見方で余白を埋めるようになってきたんですね。
描かれた親鹿と子鹿は、とても幸せそうな関係性。
子鹿も居心地が良さそうだし、心にも余裕がある。
だからこそ、子鹿は「流れ星」に好奇心を持ち、そして「流れ星を追いかける」という冒険に踏み出すことができたのではないかと。
その先は、未知の世界で心細いものだったのだけど、親元に戻ってきた時には、おそらくこの子鹿は大いなる自信と、広い世界観を持つようになったはずです。
いつでも戻れる安全な場があったからこそ、外側の世界に好奇心を持つようになり、そして冒険の結果、大きく成長することができた…そんなストーリーなのかなと。

これが私なりの「余白の埋め方」ですが、このストーリーには、このような「成長」ということのヒントがたくさん隠れているような気がします。
 

「私たちのいるまさにここも宇宙だ」


そして、見逃してならないのは、川面に映るキレイな星の描写。
これについて千住博さんは、絵本の解説書において、

「私たちのいるまさにここも宇宙だ」

ということを伝えたかったと言っています。
この千住さんからのメッセージに、私は勝手ながらウォルター・アイザックソンが『レオナルド・ダ・ヴィンチ』にて残した一節

「日々目の前の世界に驚きを見出そうとすることで、人生は豊かになるのだ。」

を思い出しました。
つまり、素晴らしいものは実は私たちの身近なものにある、ということ。
そして、それは私たちの「心のあり方」次第だということ。
日々私たちが目にしている平凡な川であっても、見る人が見れば、そこには神秘性が宿っているのですよね。

おそらく、この絵本には、そういう発見が他にもたくさんあるんだと思います。
読み手の内面が豊かになればなるほど、この絵本も豊かになるんでしょうね。

ということで、是非この絵本を読んでいただき、自分なりに「余白」を埋めてみてください。

追伸:僕の名刺入れは、この絵本の1ページ目の絵なのだよ。えっへん。