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『ハーモニー』を読んで、「悩むことの価値」を考えた

ハーモニー

ご存知故伊藤計劃氏の小説。日本SF大賞受賞作品。
先日『虐殺器官』のブログVoicyで話したら、絶対『ハーモニー』も読むべき、と多方面からご推薦をいただいた本書。
結果、「まさにそのとーり」でした。
単なるSFではなく、「意識とは何か?」「人間とは何か?」ということを問いかける哲学書でもあるでしょう。
これからテクノロジーが進化する世の中で、必読の一冊だと思います。
(『虐殺器官』の延長線上にある世界観の話なので、2冊まとめて是非!)

小説なので、ストーリーについてはできる限り排除して、私が感じたことを言葉に残しておきたいと思います。

今リアルに想像できる“ディストピア”


さて、この小説を読むと、人間は時に非合理的でアホで、お互いにイザコザがあるからこそ、愛すべき社会が成り立っているんだと気付かされます。
争いのない究極のユートピア(理想郷)を目指すことは、ディストピア(暗黒郷)への道なのかも知れません。

かのジョージ・オーウェルは、1949年時点で先の将来を想像して『一九八四年』という独裁主義・全体主義的ディストピアを描きました。
しかし、今私たちがリアルに想像しうるディストピアは、『ハーモニー』の方が近いかも知れない…そういう気に陥ってしまう破壊力のある近未来小説です。

その世の中は、独裁ではなく分散型。そして、全体主義ではなく調和型。
戦争の悲惨さを踏まえて、争いのない世の中を追求した結果として、身体にインストールされたデバイスによって各人の脳や身体を管理され、極めて「合理的な」社会運営を推進することが義務付けられています。

強烈な反戦思想に裏付けられた平和的な社会の希求。
しかし、その世界は究極に息苦しい世界でもあるのです。
 

意識を持って選択することが人たる所以


そして、私はこの本を読みながら、かのヴィクトール・フランクルの一節を思い出しました。

Between stimulus and response there is a space.
In that space lies our power to choose our response.
In our response lies our growth and our freedom.

刺激と反応のあいだには間隔がある。
その感覚に、反応を選ぶ私たちの自由と力がある。
私たちの反応の中には、成長と幸せがある。


まさにこの「間隔」こそが、人たる所以なのです。
「間隔」があるからこそ、「選択」という行為が生まれ、人はその選択肢の間で悩み、そして時に道を誤ってしまうわけです。
そして、この『ハーモニー』に描かれている世界は、この「選択」ということを一切なくしてしまおうというもの。
人間が合理的な道を選べるように、テクノロジーが指導してくれるのです。

正しいものを食べられるように・・・
正しいことを考えられるように・・・
正しい感情を持つように・・・
もう人間は悩まなくてもいいんですよ・・・

しかし、悩まなくていい、ということは、意識を持って「選択する」ということが不要なこと。
そうなった瞬間に、人は人ではなくなるのです。
 

「レコメンデーション型世界」から「ディレクション型世界」へ


さて、今、私たちが生きている世の中を冷静に考えてみれば、この「刺激と反応のあいだにある間隔」は総じて短くなりつつあることに気付きます。
つまり、テクノロジーの影響を受け、「レコメンデーション」機能により、気付かぬ内に徐々に人はモノを考えなくなっているわけです。
そして、『ハーモニー』が描く社会は、この「レコメンデーション」が、さらに一歩踏み込んで「ディレクション」になった世界。
私たちは、まさにこの「レコメンデーション」型から徐々に『ハーモニー』が描く「ディレクション」型への移行への推移の過程にいるのかも知れません。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、先の『WIRED VOL.32』でこのように言っていました。

頭の中に願望が浮かんだとき、「これは自分の自由意志だ」「自分で選んだんだから、これはいいことだ、これはするべきだ」と決めつけないでください。
もっと深く掘り下げてみて欲しいのです。


私は『ハーモニー』を読み、またこの一節に重みを噛み締めたのでした。

ということで、またこの本もVoicyで話してみよっと。